EAT GOODを考える


 
松浦亜季 AKI MATSUURA epietriz executive chef

松浦亜季
AKI MATSUURA
epietriz executive chef

麹町カフェを始めた時に絶対に守ろうと決めていたのは「限りなく手作りで作れるものを出そう。食材は妥協せずに選ぼう」でした。実際にオープンしてみるとあまりの忙しさに何度も心が折れそうになりました。もっと簡単に作れるものもある。泥んこで虫だらけの野菜も少量ならいいけれどカフェで使うのは週2回段ボールに10箱以上の大量の野菜。パンも焼いてお菓子も焼いて。ドレッシングやマヨネーズを作りハムやソーセージを仕込む。理想としていたやり方は自分達やスタッフに重くのしかかり日々の仕事量の重さに退職を希望するスタッフがたくさんいた時期もありました。

それから七年がたち、私たちは5軒のお店と50人以上のスタッフに恵まれ成長する事が出来ました。夫婦二人で始めた小さなサンドイッチとコーヒーのお店。まさかこんなに大所帯になるとは思ってもみませんでした。

出店するたびに悩みは増えます。そして地震や放射能の問題などまだ食の安心までの道のりは長いと感じています。そんな中で私たちは、良いを食べる<eat good> について今考えています。

良い食べ物ってなんだろう?早い、おいしい、安い、便利、人はそういった誘惑や簡単さの中で何か大切なものを忘れてきてしまったのではないかと思ったのです。無農薬や有機栽培の野菜を作る農家の人たちとのふれあいから自社で畑を作りその成長や収穫の喜び、はたまた大変さも感じるようになりました。スーパーでは通年見かける野菜が、露地栽培では驚くほど短い旬のものであることを知りました。種をまく時期など天候や自然との駆け引きや見極めはまるでギャンブルのようです。現在製パンの作業はFACTORYとManufactureで行っていますが、カフェを始めた初期は魚をおろしている後ろでパンを作っていました。お互い見たことのない仕事。知らなかったことがまだまだ沢山あったことに気がつきました。ひとつの厨房から、たくさんのものが生まれてきました。化学調味料は一切使わなかったので味が薄いと言われ続けた時期もありました。今の場所でカフェがオープンして半年近くたったころから、「野菜が美味しい」「ここの料理は飽きない、毎日食べられる」とよく言われるようになりました。ベジタリアンや食物アレルギーの方がよくいらっしゃるようになりました。

エピエリのお店で提供しているのは難しい特別な料理ではありません。季節の物をシンプルに出来るだけ素敵に、ていねいに作っているだけです。家でも真似してみようと思ってもらえるように、文字や言葉ではうまく説明できませんが、食事をした人が、あぁ、これが食べたかったなという気持ちになれるように、「良いを食べよう」が、なるべく多くの客様に届けばいいなと思っています。そして料理に興味をもってくれたらいいなとも思います。

私たちは日々お店を通してたくさんのお客様に触れあいます。そこで頑張って伝え続けることが今は大事だと感じています。そしてそれに協力してくれるお店のスタッフとこれからも良い食べ物について考えていきたいと思います。


 
 

エピエリの来た道:あの時からこれまで、そして明日から


その小さなカフェは、郵便局のとなりにありました。朝は会社に向かう人々が早足で行き交い、お昼時には少しくつろいだ表情の人々が歩き、夜には家路を急ぐ人やこれから大切な誰かとの約束に向かう人が足早に通る、そんな道にありました。もしかすると、見過ごしてしまうかもしれない小さなお店でしたが、そこにありました。

小さなカフェは、その名前を街と同じく<麹町カフェ>といい、まだ若いひと組の夫婦によって営まれていました。扉をあけると、そこにはカウンターが12席。音楽好きのオーナーが選んだ曲が流れる空間にはコーヒーの香りが溢れ、芳ばしい香りとともにやってくる人を迎え入れます。カウンターでは、出来立てのサンドイッチをほおばる人々が、思い思いの時間を過ごしていました。

その小さな<麹町カフェ>は、特別なコーヒーがあるとか、ちょっと変わったサンドイッチをだすとか、思わず立ち止まってしまうようなオシャレなお店であるとかいうわけではありません。けれども、新しい季節がやってきては去っていく毎に、毎朝コーヒーを飲みにやって来る人、たわいもない話をしに立ち寄る人、サンドイッチを楽しみにやってくる人、何かある度にここでひと息つこうとやってくる人・・そんな人たちの数はだんだんと増えていきました。一体何があったのでしょうか。・・そこに必ずあったもの?それは、「こんにちは!」「よい週末を!」そんな2人の元気な声と、いつも美味しいコーヒーとサンドイッチ、そして来てくれた人をドアを開けてお見送りしたいと思う(そうせずにはいられなかった)気持ち、その3つぐらいかもしれません。

あるとき、そこから大通りを渡ったところにある、赤レンガの建物の1階半分が空きスペースとなりました。実はそのころ、2人の夫婦にとってもそろそろ小さなお店が手狭になってきたところでした。今のスペースでは、沢山やってくるお客様を十分におもてなしすることが難しくなってきていたのです。「大きなスペースの半分を・・。」そう思い2人が移転を考え始めたころに聞こえてきたのは、何とスペースは半分ではなく全部という話。さて、どうしましょう。今までの何倍もあるその場所でしたが、2人はちょっと勇気を振り絞り、ここを自分たちの場所とすることに決めたのです。2006年のことでした。

とはいえ、今までとはサイズも勝手も何もかも違う新しい場所でのゼロからのスタート。今までは夫婦2人で切り盛りしてきた<麹町カフェ>ですが、まずは新しい仲間が必要となりました。そこで集まったのは、全く新しいスタッフたち。種類も様々な野菜の様な、個性豊かな6人でした。そんな冗談も束の間、2人が驚いたのはそのメンバーの殆どが包丁の使い方もままならない6人だったこと。「心が柔軟で気持ちのいい人であれば、技術はあとから必ずついてくる」、2人はそう信じつつ、自分たちの家にみんなを集めて、料理の基本を教えることからスタートしました。

そんな始まりでしたが、新しい<麹町カフェ>には今までのお客さん、そして新しいお客さんがやってきて、日に日に忙しさが増していきました。「あれ、昨日水やりしたときよりこんなに背が大きくなってる。」そんなふうに、気がつくと大きくなっている畑の苗のようでした。気がつけば、2人の夫婦も新しい6人の仲間も、寝る間もないほど大忙し。時には畑を襲う嵐のような試練も多々ありました。けれども、お店を出る人のドアを開けたり、気持ちがぱっと明るくなるあいさつをしたり、今まで通りサンドイッチをひとつひとつ手作りしたり、お料理にもお皿一枚にもお店を飾るお花にも、どんな小さなことにもあたたかい心をこめることは忘れませんでした。「当たり前のことを高いレベルでできるお店にしよう。」これは、当時も今も変わらない合い言葉です。そこに集まるお客さんが、食材を届けてくれる農家さんが、お店をつくってくれる取引先のひとが、そしてお皿に乗る食べものが―、そんな全てが大切にされて、あたたかく迎えられる場所。特別でなくていい、誰かの毎日の小さな一部になれるお店、微笑ましい何かがあって、来る度にやさしい笑顔になってもらえるお店。そんなお店を心に描いていました。

ところで、今も昔も<麹町カフェ>での食事にはおいしいパンが欠かせません。美味しいサンドイッチ用に。心を温めるスープと一緒に。または、その日とびきりのお肉や魚をつかった自慢の一品と一緒に。ワインとチーズを囲んだ、仲間との気取らない集いにも、<麹町カフェ>のパンは、大事なパートナーです。頬張れば、誰もがちょっと優しい顔になる、不思議なたべもの、<麹町カフェ>のパン。旬の果物やレーズンからつくる天然酵母、そして日本の小麦をつかって日々カフェのオーブンで焼き上げられるフレッシュなパン。そんなパンを一番の楽しみにやってくるお客さんも沢山いました。

<麹町カフェ>の移転後、「自分たちで作れるものは可能な限り作ろう」と思って作り始めたパンでしたが、お店で出すパンはもちろん、レストランやホテルなどからの注文も多くなり始め、必要な分を焼くためのスペースが足りなくなるほど、お店にとって欠かせない存在になっていました。2009年、もっとたくさんのパンを焼くために、2人は<麹町カフェ>のパン工場、その名も<FACTORY>をつくりました。パン屋さんから持ち帰って食べるイメージの強いパンでしたが、FACTORYを通してパンの新しい楽しみ方を提案していきたい、そんな2人の思いも、このパン工場に反映されパンを食べるためのカフェレストランが併設されました。

2年後、2人は麹町カフェ、そして新しいお店のFACTORYの母体として、エピエリを設立しました(現・株式会社エピエリ)。エピエリとはフランス語のエピ(l’epi 麦穂)とリ(le riz/お米)を合わせた、2人自らが考えた社名です。<麹町カフェ>の「麹」という字には、食の基本である「麦」と「お米」が入っていることに気がつき、食を通して人々に幸せを届ける会社にしたいという思いを込めて名付けられました。

麹に酵母に・・。そんなエピエリから、今度は何が育つのでしょう。2012年、夢という畑に種が育ち、またひとつ新しい何かが芽をだしました。<麹町カフェ>でお豆をふんだんに使ったスープランチを提供しはじめたころ、女性だけでなく意外にも男性からの注文が沢山はいりました。そんなとき、2人はアメリカのワシントンで一軒のチリビーンズのお店に出会いました。「こんなチリのお店が自分たちらしいスタイルで開けないだろうか?」この小さな出会いと<麹町カフェ>の豆のスープがつながり、2人が新たな夢を抱き始めた頃、ひょんなことから手に入れたモロッコインゲンとクランベリービーンズの豆を、ふる里の土に植えたのです。そうすると、その豆は芽を出し大きく育ち、予想もしなかったほどたくさんの実をつけました!それはまさに、小さな夢から芽が出た瞬間。「さあ、これでチリのお店を開こう。」こんなふうにして、チリビーンズ専門店 <Chili Parlor 9>は「お豆を食べる店」としてオープンしました。

小さな<麹町カフェ>が始まった頃から、全てのエピエリのお店は九段南の通り沿いにオープンしてきました。それは、この通りにずっとお世話になっているという2人の思いがあるからです。いつしかそんな九段南の道に、皇居の近くを走る人ランナーが多くみられるようになりました。そんな風に運動に勤しんで体を大事に思う人々に、栄養がたっぷり体にしみていくようなお豆の料理を提供したい。そしてもっと沢山の人がお豆のおいしさを知り、豆を食べることが今より身近になってほしい。そんな願いが<Chili Parlor 9>には託されていました。また、働く男性は早くておなかがいっぱいになるファーストフードを選びがちです。けれどもファーストフードとは、決してラーメンやハンバーガーの事だけではない。出て来るのが早くておなかも満足、体にもやさしくて、美味しいコーヒーもどうそ好きなだけ召し上がれ、そしてちょっとかっこ良くて誰かに教えたくなる、そんなファーストフードのお店、ここにあります!<Chili Parlor 9>は、今日もそんな新しいフードカルチャーの木を大きく育てるため、お豆という種を九段南の道の端っこで、せっせと植え続けています。

そんな九段南の道からは少し離れた、ある外資系eコマース企業のなかに、同じく2012年、エピエリはもうひとつ新たな夢の種を植えました。それは、あたらしい“社員食堂”という名の種でした。人が働く場所、「企業」。それは人の集合体であり、ひとつの生き物とも言えます。だからこそ、はたらく人が心もからだも健康、そして幸せであることは、元気な企業の条件です。けれども実際は、不規則なはたらき方のためにきちんと食べることが難しい・・、だから仕方なくパソコンの前に座ってコンビニのご飯をたべる・・なんていう人も珍しくはありませんでした。だけれどやはり、はたらく人に健康そしてハッピーであってほしい―。そんな思いで、限りなく手作りで体が喜ぶおいしいものを提供する社員食堂をつくったのです。わずか1時間の休憩時間であっても、心とおなかが満たされるような場所を。そして同時に、そこで調理をする自分たちの社員にとってもはたらきやすい場所を。実際に、そのころのエピエリでは女性社員が大多数を占めるようになっていました。飲食業は、やがて出産や子育てに向き合う女性にとって長期間携わることが難しい―、そんな現実を少しでも改善したいという思いがありました。社員食堂は夜は早く閉まるので、少し早く帰宅して子供と絵本を読む時間、今日の出来事を話す時間がもてますように。そんな風に思って、色々な“はたらく”が交わる場所である、この社員食堂はスタートしました。


今日、エピエリのお店には様々なお客さんが、おいしい食事、そしてここで過ごすひとときを楽しみにやってきます。郵便局横の小さなお店時代からのお客さん、近くのオフィスではたらく方、以前この辺りに勤めていた方、赤ちゃんを産んですっかりお母さんになった方、小さなこどもたち、90歳のお年寄り、そして毎年戻ってきてくれる海外からのゲスト。エピエリのお店が、誰かの何気ない日常の中に在れること、幸せなときやちょっと落ち込んだとき戻ってきてくれる場所で在れること―、2人はそれがとっても嬉しい、そう思います。小さなカフェから始まったエピエリは、ホテルでもレストランでもなく、そこで受けられるような特別なことはしていません。それでもひとつだけ、今までもこれからもいつも大切にしていることがあります。それは、当たり前だけどつい忘れてしまいがちなやさしい気持ちをこめたサービスを届けること。来てくれた方を自然な笑顔とあいさつでお迎えすること、顔や名前を覚えること、あの時のちいさな会話を大切にすること、何かして欲しそうだなと気がつくこと、ありがとうの思いと言葉を大切にすること。それらはとてもシンプルなことでした。ただそうしたいと思うからずっとやってきたことでした。ちょうど大切な人をお家でもてなすように「喜んでくれたらいいな」、そんな一心で想像力をはたらかせ、相手に思いを遣る。それは、今も昔も全てのエピエリのお店の根っこにあることです。時代とともにお店が変わっていくのは自然なこと、けれどもそんな根本だけは決して変わらないお店。それがエピエリの目指すお店です。

そして、エピエリは今、EAT GOOD(良いを食べる)を考えはじめました。EAT GOODの良いとは、有機野菜だとか無添加だとか、そういったことではありません。畑からパントリーへ、パントリーからテーブルへ、テーブルからお客さんの口へ―、そのつながりの中にある、お互いへの愛情、思いやり、リスペクト、そしてありがとうの気持ちを大切にしてつくられたもの。それを考え、あつかい、調理し、食べてもらう。いただく。それがエピエリの考えるEAT GOOD(良いを食べる)です。

雨の日も風の日も、こどもを見守る目で丹誠込めてつくられた食材と生産者さんの思いを大切に「どうすれば、食材も生産者さんも食べる人もハッピーになるだろうか?」と考える。そして自分も楽しいだろうか?と考える。味付けはなるべくシンプルに、素材の持ち味が生かされるようにしてみよう。そうしたら生産者さんもきっと嬉しい、味わうお客さんもきっとその素材の美味しさに喜んでくれるんじゃないだろうか。アツアツのものは、アツアツのうちにテーブルへ持っていこう。食材も、一番おいしいうちに食べられたいに違いない。そのときどんな空間があったら、お料理がもっと美味しくなるだろうか?お客さんが後でちょっと自慢したくなる、嬉しいサービス、お店の空気、インテリアはどんなだろう?食材も、生産者さんも、お客さんも、そして私たち、つまり関わる皆が一番幸せになる方法を追求し、それを食べること。提供すること。そのなかにEAT GOODのGOODはあります。

こんにちは!いらっしゃいませ!コーヒーテイクアウトで!あの方はデザート大盛りで!乳製品の抜きでお願い!あそこの席ですね、もうすぐ空きますので!妊婦さんですって、コウノトリの絵を描いたデザートを!ビーガンのお弁当を!赤ちゃんが食べられるもの、お願いします!今すぐサンドイッチを沢山!エピエリのお店には、毎日こんな注文がたくさんです。大忙しであってもわたしたちはそれに耳を傾け、時には悩みながらも笑顔で対応し、最後には「喜んでもらえてわたしが嬉しい。」そんな気持ちを感じながら日々をお店に立ちたいと思うのです。さて、今日はどんなお客さんがやってきてくれるでしょう。